Crucifixion (Miroir de Peine)


4月3日(金) Good Fridayの礼拝では、Communion Anthemとして、Miroir de Peineの終曲「Crucifixion」を歌いました。






Crucifixion

(Henri Ghéon)


“Avec ma pauvre plainte de mère,

que suis-je là devant, mon aimé?

Un Dieu qui meurt… Oui! Le grand mystère!

Je vois un Fils qui me va quiter…

Qu’aucun rayon d’en haut n’adoucisse

une douleur que toute je veux!

À ma douleur je fais sacrifice

de la Divinité de mon Dieu.


Il voit mes pleurs et me les pardonne;

j’accepterai l’enfant qu’il me donne

à consoler dans notre maison…

Mais c’est trop peu pour tenir sa place;

entre mes bras qui plus ne l’embrassent,

tous ses enfants, les hommes viendront.”




磔刑



​「母としてのささやかな嘆きを抱え

愛する我が子よ、私はあなたの前で何者なのでしょう?

死にゆく神… そう、大いなる神秘!

私を置いて立ち去る一人の息子が見える


​天からのいかなる光も

私が一身に受けたいこの哀しみを和らげることがありませんように

私は 我が神の神性さえも

この苦しみのための供え物といたしましょう


​彼は私の涙を見て 許してくださいます

彼が私に託したその子を迎え入れ

我が家で慰めとともに暮らしましょう


​けれど それは息子の代わりとするにはあまりに足りない

もう二度と 息子を抱きしめることのないこの腕のなかへ

彼の子らであるすべての人々が やって来るのでしょう」



詩を見た時に「これはとんでもない詩だ」と身震いがしまして、色々書きたいけどHoly Week+年度初めの疲れが抜けず...落ち着いたら追記したいです。

マリアは息子が無実の罪を着せられた挙句に凄惨な目に遭って処刑されることに深い悲しみに打ちひしがれる。それと共に、イエスの救いが成し遂げられる。イエスにとってのマリアは「息子の母」ではなくなり、「神の母」を引き受けるしかなくなる。それこそが、「どんな慰めも何の代わりにならない悲しさ」だったのではないか?もはや人間の想像にも及ばぬような領域です。

マリアは女のうちで最も恵まれた方だと、受胎告知の時に天使に告げられたけれど、本当にその祝福を理解して受容しただろうか?そうに決まってる、とは簡単に言えない、むしろ分からないまま引き受けたのではないでしょうか。



歌もここまで来るともう、とりつく島もないような感じなのですよね。
「悲しむ自己」さえも自分から切り離されてしまったような印象を受けました。



今日はこれからEaster Vigilの礼拝です。
どんな救いに与れるのやら...


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