Lent 2026
2月ももう終わりそうです。
何かとドタバタで、気がついたら春の気配。
寒かったり。
晴れたり。
同じ月とは思えない気候。
「衣替え」という言葉は、だんだん使わなくなるかもしれませんね。春夏秋冬出せるようにしておいて、その日に合いそうなものを着る。365日半袖短パン小僧が最強かもしれません。かくいう私も春夏秋Tシャツ、ポロシャツだったりしますが、寒い日にあたると終わります。
教会では2月18日からレント(Lent)に入りました。カトリックは四旬節、プロテスタントでは受難節、聖公会では大斎節と呼ばれています。キリストが荒れ野で悪魔の誘惑に耐えて四十日間断食したことを覚えて、節制する四十日。昔ならばこの寒い時期、収穫もなく植物の育たないこの季節に、節制して蓄えをしておかないと生存できなくなってしまうよ、という戒めもあったと思います。
いきなりマクドナルド。(節制とは)
フィレオフィッシュが誕生したのは、金曜日に肉を食べないカトリック信徒を顧客に取り込むためだったという話(公式)があります。今でも金曜日は肉を食べないことを守っている方もいるでしょうし、気にしていないという人も多いようです。しかしこのレント(四旬節)の間は、毎金曜日は肉類は避けてね、というのがカトリックが公式に出しているルールのようです。絶対に肉を食うなという話ではなく、愛徳のわざ、信心業、節制のわざ... 例えばチャリティを捧げたり、自分の時間をお祈りとして捧げたり、いつもより節約したり... という実行をもって代えることができると記載されています。
日本では、魚OKなら鰻重も大トロ寿司も食べられるやん、ということになるし、現代グローバル社会においては、何でも安物で済ませることがかえって労働搾取に繋がってしまうのでは、という倫理上の懸念もあります。
個人的に大切にしたいと思うのは、規律を守る守らないということより、断食や節制によって受ける乏しさを、今日の現実に強いられている見知らぬ誰かと霊的に共有することです。つまり「世の中にはお腹を空かせても食べ物を得られない人もいる」という苦しい渇望に“身をもって”思いを馳せることです。あるいは、食べ過ぎの人にとっては「これで私は十分足りる」と自覚することです。ええ。私です。「世の中にはご飯を食べたくても食べられない人もいるのだから、残さず食べなさい」と言うのではなく、初めから少なさを選ぶということです。
キリストは全知全能の神でありながら、人の子として生まれるという弱さを選びました。それは一緒に生きるため、苦しんでいる人の隣にいて一緒に苦しんで、分かろうとするため。もちろんキリストみたいにガリガリになるまでやれという話ではなく、あくまで己の心身の健康を害さない範囲で、乏しさ、苦しさの分かち合いに、目を向ける季節なのではないかと、私は思っています。





