Never weather-beaten sail


 昨日10月12日の礼拝ではCharles Wood (チャールズ・ウッド)のNever Weather-Beaten Sailを歌いました。

4声の曲ですが今回はソプラノの旋律をソロで。



Never Weather-Beaten Sail


       Thomas Campion


Never weather-beaten sail more willing bent to shore. 

Never tired pilgrim's limbs affected slumber more,

Than my weary sprite now longs to fly out of my troubled breast: 

O come quickly, sweetest Lord, and take my soul to rest. 


Ever blooming are the joys of Heaven's high Paradise. 

Cold age deafs not there our ears nor vapour dims our eyes: 

Glory there the sun outshines whose beams the blessed only see: 

O come quickly, glorious Lord, and raise my sprite to thee!




嵐に打たれた帆が



嵐に打たれた帆が 岸に帰りたいと願うよりも

疲れた巡礼者の足が 眠りたいと願うよりも

わたしの疲れ果てた魂は願っている 悩みに満ちた胸の外へ飛び立ちたいと

どうか 早く来てください やさしい主よ わたしの魂を安らぎへと連れ出してください


天上の楽園では喜びが永遠に花咲いている

そこでは老いが耳を塞ぎ 霞が目を曇らせることもない

栄光は太陽よりもまばゆく 祝福された者だけが見る

どうか 早く来てください 輝ける主よ わたしの魂をあなたのもとへ引き上げてください



この日の福音書朗読は、ルカ17:11-19の「重い皮膚病を患っている十人の人を、イエスがいやす」場面でした。

この“重い皮膚病を患っている十人の人”は、英語では “ten lepers”と訳されます。この“leper(s)”という単語は「ハンセン病患者」の意味だけでなく「穢れた人」「社会から排除されている人」という差別的な意味合いを強く持つため、今では報道や医療・公的文書はもちろん、日常の会話でも使うことは避けられています。

聖書においては(Anglicanの礼拝でよく採用されているKJV, NRSV(A)の訳では)元の「共同体から隔離された者」という排除のニュアンスを敢えて残すために、leperとしているのではと思います。そのような者はイエスに拒まれることなく、むしろいやされ、救われる人たちなのだと。


この聖書箇所と歌のテキストが合致しているわけではないのですが、この世の中で“leper”と呼ばれる人たち―差別されている人、排除されている人、仲間外れにされている人―は、苦悩のうちにこの詩のように願うだろう、祈るだろう、という思いで選曲しました。

この詩はもともと作詩したThomas Campion自身も作曲していますが、内容が多くの人の共感を得たのか、Parryなど他の作曲家も曲をつけています。そのなかでもWoodの曲が最も疲れていて(笑)、静かでCommunion向きだったので選びました。Woodはイギリスの作曲家で、渋い美しい宗教作品を数多く残しています。弟子にVaughan=WilliamsやHowellsがいます。


Campion自身の作品も、いいんですよね。疲れているというよりは生きることにうんざりしているようで、自嘲的な諧謔があり、軽やかな音楽の後ろ側にひそかに哀しみを隠しているように私には聴こえました。


こちらはParry。もはや天使たちのお迎えが来つつあるような...


様々な国の作曲家の作品を礼拝音楽のなかに取り入れることができるのは、Anglican Churchの礼拝の良いところだと思います。英国音楽の“しっくりくるサウンド”を組み入れることもまた美しい業のひとつとして、大事にしたいです。

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