日本現代詩人会 詩投稿欄 第31期佳作作品
日本現代詩人会 詩投稿欄 第31期(2023年10月~12月)において、拙詩「解」
いつもながらとても真摯な選評を賜り、たいへん嬉しい。
2023年を通して、私は上手い詩が書けていなかったと思う。 上手くなかったと思っている。
また、私が書いた詩は現代詩らしくもなかったように思う。
情感や韻律から離れ、 言葉を堪能する純粋な快楽のみを覚醒させる洗練された詩。
映像でもバーチャルリアリティでも超えられない、 言葉によって超えられる閃きや発見を捉えた詩。
そんな詩を読むにつけ、時代の先に立っている詩だ!凄いな、 と驚かされる。
私も、自分のスタイルから脱却することを臆せず、 積極的な挑戦がしたい。
新しい詩を書きたい。
聞いたことのない響きが欲しい。
その一方で、自分がなぜ詩を読み始めたのか、詩を求めたのか、 という出発点を見失わないでいたい。
今の私が書いた詩は、あの時の私が読みたい詩か?
渇望する心が、ほんとうに希求する詩か?
それを我が身に問う思いが、優れている詩を書きたい/ 劣っている詩にしたくない、という思いよりも、 いつだって先に来るように。
解
あなたは混乱していた
大人たちは問いつづける
何がわからないのか
どこがわからないのか
人間としての正解に導こうとする
いまになって知った
こんなときの
〈わたしはいなくなればいい存在である〉
そのことの明白すぎる整合性には
刃向かえないこと
打ち消し
目を反らし
突きつけられては
やり過ごして
その繰り返しだと
どんな言葉もあなたを救えない
だけどいまそのことに
わたしは苦しんでいられてよかった
鈍麻せずにいられた
いなくならずにいる意味があった
わかる なんて言えない
わたしにもわからない
少なくとも
ふたりともわからない
【根本正午氏による選評】
第一連に「あなたは混乱していた/大人たちは問いつづける/ 何がわからないのか/どこがわからないのか/ 人間としての正解に導こうとする」とあるように、 私たちは便宜上、 わかっていることをわかっているふりをして日々を過ごしています ね。だけれどもそのふりをやめられないのは、 わかることが恐ろしいからだということがいえると思います。 この詩でいわれている「大人たち」にはそのことがわかっている。 わかるふりをした【わかる】が大人たちにとって正解なわけです。 わからないにとどまることには痛みが伴うだけではなく、 この詩にある通り「どんな言葉もあなたを救えない/ だけどいまそのことに/わたしは苦しんでいられてよかった/ 鈍麻せずにいられた」、 わからないと気づくことによって不可避的に、 鈍麻とは逆の鋭さをえてしまうからです。私たちにとって、 詩をわかるということは、果たして可能でしょうか? 作者にならって「わかる なんて言えない/わたしにもわからない/少なくとも/ ふたりともわからない」(最終連)というほかありません。

