グレース・オブ・ゴッド 告発の時

 


フランソワ・オゾン監督「グレース・オブ・ゴッド 告発の時 (2018年)」を配信で観る。

昨年のカンヌでパルムドールを受賞した「落下の解剖学」が来月日本で公開されるので、スワン・アルロー繋がりで観たくなった。


フランス(その他多くの国)で問題が明るみになった、カトリック神父の性的虐待の実話を映画化した作品。

シリアスな内容だが、その酷さだけを映すのではなく、むしろ前向きに闘ってゆく姿を通して、人間の善性が映し出されている映画だと感じた。ドキュメンタリーにならなかったことで観る者が主観的に感情を揺さぶられ、映画として(語弊はあるだろうが)おもしろく、様々な人が共闘して知恵を出し合い、ユーモアを交えて議論し、裁判に挑戦するシーンなど、引き込まれた。

また決して教会を卑下する作品でもない。現に、信仰に篤い主人公の一人が教会に通うシーンは非常に美しく神秘的で、一応クリスチャンの私にも、ああ、これだよな教会の良さって、と思うものだった。教会のなかにある"良い時間"が映っていて、それは彼が見つめている時間、信仰を持つ者が見ている美なのだった。

主人公の男性らは、いずれも幼少期に、教会のボーイスカウトで同じ神父から虐待に遭い、心に深い傷を負っていた。被害を告発し、今なお教会で子どもに携わるその神父を解任させるため、話は動き出す。

様々な境遇の人間が登場する。エリートで裕福な家庭に生まれ、何不自由ない暮らしに見える人にも、被害によって深刻な精神の病を抱えたことで、うまく人間関係を築けず貧しい生活を余儀なくされている人にも、それぞれに過去があり、苦悩があり、その重量は比較ができない。みんな重い。

それは自分にない立場を知ることでもあり、ある意味すべて自分だ、とも思える。どの他者にも自分がいるのだ、と。

彼らが告発の運動に参加した理由も、人それぞれであった。広く正義のため、自分の子どもたちのため、自分自身を肯定するため。

傷によって結ばれ、他者の勇気と才能に触れ、本当の自分を取り戻してゆく。これこそエクレシアではないか、と思わされた。


当事者にとっては苦しくて見ていられないだろうな、とも思った。(特にアルローの演技が秀逸で心が掻き乱された)

この映画には映しきれなかった、もっともっと複雑な苦しさが、ひとりひとりにあるだろうと思う。

ただし、暗い映画ではない。神とは何なのか、他者とは何なのか、愛とは何なのか。そんな根源的で、言葉にすると陳腐な、問い尽くされた問いが、映画制作者ら、俳優陣の心を通すことによって、リアルな問いとなり投げかけられているように、私は受け止めた。

人気の投稿