黙殺への反逆 征矢泰子
紀伊国屋書店の新宿本店に現代詩文庫の征矢泰子詩集があって、
この一冊を本屋で買えるってすごいことだ。
征矢泰子さんの詩は、 今日のような病んだ時代にもっと読まれてもいいように思う。
意味不明な現代詩と違ってわけがわかるし、 かつ言葉が古びていない。
自殺した詩人の詩は、読者をも死へと引きずりこんでしまうか?
必ずしもそんなことはない、と私は思う。
心には、同じ深さの傷に触れることでしか癒えない傷がある。
いや、治癒にはならないのか。痛みを重ね合わせることよって、 自らの痛みを忘却できるといったほうがより正確だろうか。
ここまで徹底して現実からはじき出され、 深刻な孤独の最果てに降り立っている詩人は、なかなかいないか、 いたとしても、 その底に立つと見るもの触れるもののすべてが苦しみなのだという ことを、 しかし何をどうやってもそこにしか立てないのだということを、 ああ、それだ!としか言いようのないことばで詩にできる手腕のある詩人は、極めて稀有な存在だ。
これほどまでに憂鬱だったら、 詩を書く気力さえ喪失するかもしれないのに、 彼女は書いてみせた。なんと強くなんと脆いのか。
征矢さんの詩を読んで、私も死んでしまおうとは思わない。
むしろ、「ここまで降りてもいいのだ」と知ることが、 重く沈んだ心を軽やかにさせる。
暗さが人を照らすのは、そういったところにある。
深淵にいる者にとって、暗きに立ったことのない人間から、 ああ生きてみよ、 こう生きてみよと教え諭されることほどがらくたみたいな激励はな い。
その哀しみに立ったことのある者の声ならば、まっすぐに響く。 その実存だけで。真の美しさに出逢えた瞬間のように胸を打つ。
だから、いなくなっていい人など本当に一人もいない。
傷ついているということだけで人は光を発している。 闇を足掻く者に向かって。
黙殺への反逆
そんなにもむげに
世界はわたしを黙殺する
わたしが声高にわめきたてず執拗に要求しないので
世界はわたしをそそくさと黙殺する
わたしがもうアダムでなくイブでなく
ありふれてそこらじゅうで
無数にうんだりうまれたりするので
世界はわたしをみようともしない
わたしはここにいるのにまぎれもなくかけがえもなく
世界はわたしを黙殺する
血ひとすじ流すこともできない
みかけはまるきり無傷のまま
育ちながらすでにわたしはころされている
黙殺されたものどうしの
よりそうつつましいせめてもの自慰の底辺で
だがふいに はげしいさびしさがひとすじ
あつくからだをせきあげてはしってくる
予測をあざむいた天災のように
わたしはバットをふりあげ火を放つ
わたしを生きながら黙殺した世界に
一瞬にして過激で有害で珍獣に化した
わたしと世界は
はじめて対峙する一対一で
世界よ
おまえがやっきになってとじこめる檻のなかで
わたしは今 ようやく生きはじめたばかり
ながいおまえの黙殺を ついに逆転して

