涙の日

 11月25日のコンサートに向けて、立教学院聖パウロ礼拝堂(新座チャペル)に練習に行ってきた。


三浦はつみ先生が、
ほんの数小節だけ弾いてくださったラングレにもう圧倒されちゃった。
こりゃ今まで聴いたことのない音楽が聴ける、いまだかつて体験したことのないコンサートになるぞェ...。


坂本日菜さんの八木重吉の4つの詩による「涙の日」は、今回が再演。


ひかりは 
ありと あらゆるものを
つらぬいて ながれました
あらゆるものに 息を あたへました
(「貫ぬく 光」より)


これぞパイプオルガンの音だ、と私は思う。
闇を貫く光のように、沈黙を、時には喧騒を貫いてゆく風の音。
そしてそれは息を与える。聖霊の息吹が、息詰まる世に置かれた息苦しい人に、本当の意味で生き生きとした呼吸をもたらすように。


このあかるさのなかへ
ひとつの素朴な琴をおけば
秋の美しさに耐へかね
琴はしづかに鳴りいだすだらう 
(「素朴な琴」)


この詩を読む時、読み手はすでに、ことばの明るさのなかにいる。
この歌を聴く時、聴き手はすでにその風の明るさのなかにいるだろう。
音楽はそう書かれているので、歌い手がいざなえるように精進するのみ...。



日菜さんは、この「涙の日」の涙を(レクイエムのLacrimosaのような)罪を悔いる種類の涙ではなくて、回顧や感謝、希望の涙だと仰っている。(ご本人のブログより)
歩みとともに涙は重くなる、いやむしろ軽くなるだろうか。

個人的な話をすれば、私は嬉し涙を流すことはあんまりない、と自分では思っている。しかしまれに私からその種の涙が流れる時、私は受洗する前からなんとなく、ほんとうになんとなく、ああ、この感情は自分から湧いてくるものではない、という気がしていた。与えられているものだという感覚がどこかにあった。

尊くかがやく涙を私は見たことがある。あれだ、と思う。


2020年の初演から3年を経た。
みんないろいろあった。
涙の日、その日は


私の目はふたたび何を見るだろう。

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