神の掌中

 歩くのが遅すぎて遅刻した。Googleマップで徒歩25分と出るのを、余裕を持って35分前に出て、結果43分かかるのはどう考えても私の歩くのが遅い。寄り道してないし。本当はコンビニ寄ってたけど記憶が抹消されていたとかだったらもう、いよいよだ。


優しい言葉をもらった。何気無い言葉がその人を一日でも生かすかもしれない。或いは生きられたはずだった一日を終わらせてしまうかもしれない。他者の精神が死の瀬戸際にいる(かもしれない)ということさえ、人の目は見通すことが難しい。言葉はしばしば行いより軽んじられるが、時に言葉は行いよりも重い。何より重い生命を左右する力があるから。“行うこと”が困難なら、優しい言葉を選び続ければいい。間違っても言い直せばいい。“言うこと”が怖くてたまらないのなら、黙っていたっていい。言葉にしたい、と思うことが、心のなかに現れたら、そしてそれが相手の喜びそうなことなら、そっと言ってみればいい、相手がどう受け止めるかは我々には言ってみなければわからないが、たぶん、神さまが喜ばれるのは、その発露だと私は思う。人間の判断ではとうてい、価のつけられない尊さの極みのような、見えない輝きの一瞬、みたいなのが存在する。その一瞬が永遠にただよう世界が、神の掌中なのかな。宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」で、ジョバンニとカムパネルラが行ったところのような。

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