親子丼瞑想

 親子丼の話をもうひとつすると、私はイエズス会の修道院で親子丼を食べたことがある。黙想会に参加したのだ。完全な黙食で、いわば食べる瞑想。目を閉じて一口ずつ食材の、味、香り、歯触り、を感じ、噛むことによる変化も感じ取り、嚥下するまで次の一口に手をつけてはならない。汁物も同様。そしてその場にいる全員が食べ終わるまで黙想して待つ。

食べる前は正直、出されたのを見て「すくなくね?」と思ったが(失礼)、必然的によく噛んで食べることになるので、少量でも満腹になる。充足感がある。私にはこれで十分なのだ、と思う。神さまは私が欲しがらずとも、いつも十分な糧をお与えくださっているのだなあ、というのが骨身に沁みる。ただし夕方頃に猛烈に腹が減る。が、それもまた人間らしい摂理かとも思う。

また黙想会に参加したくなってきた。人気なので、なかなか予約も取れないようだったが。あの静けさと、待ってくれることと、すべてが祈りのために備えられていること、の何者にも計れない豊かさ。せめて私の心にもそんな小さな場所を作りたいものだ。心静かに、辛抱して待ち、祈りのために備えている、そんな心を。

人気の投稿