お盆の水上歩行
礼拝に行けんかったのでネットで色々見てた。聖公会はどこもかしこも(てかみんなでこの日はそこにしよって決めてんのだけど)イエスの水上歩行の話(マタイ14:22-33)だった。私、なぜかこの箇所を見る度に風雲たけし城のジブラルタル海峡を思い出してしまう。イエスが歩いたのは海じゃなくて湖だし、そもそもたけし城は橋の上だし、しかも私の世代でもないのだが。自分水泳やってたので一応泳げるけど、歩けるようにはならんかったな。フランツ・リストの曲(「伝説」)にもなっているパオラの聖フランチェスコは、マントを海の上に広げて渡ってたらしい。イエスが歩いて来た時はペトロもよそ見しなけりゃ歩けてたっぽいし、旧約モーセに至っては海を割ったけど、信ずればそんな異能を持てるのか。フランス、ブルターニュ地方の端っこはフィニステール県(Finistère)というがこれは「地の果て」を意味し、つまりおしまい(fin)であり、海まで追い詰められたら基本的に命はおしまい、詰みだ。海を割るだとか渡るだとかいうのは「詰んだ!もう何もかもおしまいだ!人生オワタ\(^o^)/(古い)」と思うような状況を突破すること。神の助けによってそれが達成される、ということを、祈らんよりは祈ったほうがいいんじゃねえの。ここで終わるような君じゃないだろう。割るか、渡るか。俺か、俺以外か。
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