読書記録 : LGBTとキリスト教 20人のストーリー
先日、一人のタレントが自殺した。ryuchellと名乗っていた。テレビやYouTubeで観て、カラフルで真っ直ぐな人だなと思っていた。
報道を見た日、奇しくも私は、「LGBTとキリスト教 20人のストーリー」(日本キリスト教団出版局, 2022年)を読んでいる最中だった。
芸能人の死など、一般人の私には関係のないことだ。だけど悔しかった。あのような人にこそ生きていてほしかったのに、というのが率直な思いである。とはいえ特段、氏を応援していたわけでもないから、今さらそのことを言葉にする資格なんて私にはないかもしれない。
死んでからならばどうとでも言える。
キリスト教だって、もうとっくに地上での生涯を終えたイエス・キリストの教えを未だにあーだこーだ言ってる宗教といえばそうである。
「私たちのために十字架にかかって死んでくださった」なんて形式ばった崇め方が、虚しいおままごとのように見えてしまうくらい私にはショックだった。
私のせいで彼は死んだ。それも苦しみながら。私が殺したのだ。いつだって傍観者は手を汚さずに他者を殺害することができる。私の信仰は、本当にそれを受け止めているのか。
重く受け止めている、なんて言葉さえそらぞらしい。突破したい。
すべての人に与えられる祝祭を、地上に作り出すことが私たちに与えられた営為だ。人間の愚かさゆえに他者に強いた苦しみに対して、「それでも、今まで苦しんだことも、天国に行けば解放されるから」というような信じ方を、私はしたくない。
「御心が天に行われるとおり、地にも行われますように」と、われわれは祈る。キリストがそう教えられたからである。その“地にも行われますように”ということの実践を、諦めてはならない。押し殺された羊の群れなど平和ではない。
「LGBTとキリスト教 20人のストーリー」は、キリスト教書店大賞2023にノミネートしている(→大賞を受賞した。後日追記)。多様なセクシュアリティについて、本当に丁寧に、かつ真摯に書かれている。
“LGBT”という呼称が用いられているが、セクシュアルマイノリティがLGBTの頭文字、すなわちレズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーのみにとどまらないということを、監修者(平良愛香牧師)は再三述べている。監修者の説明がとてもわかりやすく、同時にセクシュアリティの複雑性、わかりづらさも正直に抱え込んで、一緒に考えましょうよという本。“キリスト教”を抜きにしても、LGBTについて考えるための取っ掛かりとしても良い著書だと思う。
またセクシュアリティのみならず、ジェンダーについても言及している。“男女”の結婚その他“男女”での役割分担があまりにも重んじられ過ぎな教会、LGBT差別以前に女性への差別がないか、という一文が見られる。教会に限らない、すべての読者に、この“男女”的見方をしていないか、それに傷つく人がいるにもかかわらずそれが当然と思っていないか、一石を投じている。
もちろんこの本は、歴史のなかで、そして今でもLGBTをさんざん虐げているキリスト教を、時に厳しく批判はしても非難するものではない。それぞれの書き手は篤い信仰ゆえに苦悩し、それでも神が存在し、自分を憐れんでくださっていることを知ったがゆえに信仰を放棄できなかったことが、ひしひしと伝わってくる。
真に人を愛するということを、これまでキリスト教にひどく傷つけられてきた人が、キリスト教のなかに、その可能性を見出だそうとしている。可能性があると言い切る。その働きが、本当にキリスト教らしいなあと思った。LGBTとキリスト教が相反する、敵対するもののように捉えられることもあるなかで、いや、神さまの愛って、そんなちんけな一解釈に縛られるようなしょぼいものなわけないよな、と思わせてくれる本。読み進めるのが辛い箇所が幾つかあった。それでも次の時代のキリスト教を、明るい視座で見つめているような言葉。その明るさは、易きに流れた偽りの明るさではない。キリストの光に照らされた明るさなのである。

