日本現代詩人会 詩投稿欄 第28期入選および佳作作品

 日本現代詩人会  詩投稿欄第28期(2023年1月~3月)において、拙詩「影」を北原千代氏により入選、「祈りの家」を根本正午氏により佳作に選んでいただいた。


昨年夏からぼちぼち出してはいたのだが、佳作、入選ともに初めてのことで、とても嬉しい。果たして自分の詩は“詩”といえるのだろうか?と自問することは、現代詩人あるあるらしいのだが、どうやら私の詩も“詩”と呼ばれていいのだな、と思える。

提出したのが確か今年の1月か2月くらいで、自分がどの詩を出したのだか、すっかり忘れていた。思えば年明けは精神的に疲れ果てていて、言いようのない虚無感に襲われながらネクラな詩ばかり作っていた。でも、こうして選んでいただけたことで、そのネクラな時間も、まったくの無駄ではなかったように思えてくる。本当にありがたい。


詩と選評を以下に。




たのしいことの何があろう
光の中に何があろう
わたしたちの まずしい目は
空の果てまで見通した
そこに
何にも心おどれずに
横たわるわたしを見るのだ

雨を 涙と呼んだ
涙を 悲しみと呼んだ
わたしたちは呼び尽くした
日の出る度に つきまとう影を

青い星の外側を
歩きつづけて何があろう
歩きつかれてたおれれば
はじめて 子供が笑うだろう


【北原千代氏による選評】
地球上のどこにも救いがない、行き所のない虚無感を、歌曲のようにうたいあげています。文字からというより、耳から入って言葉がこだまします。繰り返される「何があろう」の声は痛ましさを超えて、いっそおおらかにも聞こえます。金子みすゞの「このみち」の寂寥は抒情的ですが、この歌は前衛の響きをもち、「はじめて 子供が笑うだろう」は、説明なく読者に渡される謎です。自らが荒廃させた地球で行き倒れる大人、その時代の子供は、どんな声で、表情で笑うのでしょう。つめたく怖ろしいものが血管を走ります。歌い尽くせない歌を、さらにお聴きしたいです。


祈りの家

折れるほうが 尊いのだ
水辺の葦も 野の花も
硝子のなかの光も
そしてわたしたちも
剣を 置きたい
銃を 置きたい
あれほど宝物にしていた
美しい正しさを  置きたい
つかい古された椅子の下に
今日こそは
ここに座り
冷えきった指を重ね
見えないだれかに手を合わせていたい
祈りが ひとりぶんの傷さえ
ふさげなかったとしても
折れて 折れて 折れて
ちいさくなりながら
この家の明かりだけは
忘れても忘れられないと
わたしたちは言いつづけるしかない
言いつづけるしかない


【根本正午氏による選評】
祈ると折るの二つの漢字の外見上の類似性から、祈りとは途中で手折られてしまうもののためにあるのだという読みが創られています。詩の「美しい正しさ」が、この国で具体的に指し示しているものについて考えつつ、結局のところ剣も銃も置くことができない私たちのありようについて思いを馳せます。「祈りが/ひとりぶんの傷さえ/ふさげなかったとしても」は痛切な行で、祈りがはてしなく困難であることについて自覚的です。その壊れ果てた場から立ち上がることばはあるのか。よみがえる家の明かりはどこかにあるのか。詩は答を出していません。詩も祈りも、答など得られない所作なのでしょう。

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