空 「讃歌」
空
一月の蜜蜂の群れが
銀の椿をめざして
流氷の上に立つ街を
覆い尽くすことはなかった
大剣を象った塔の
柱を周りを駆ける愛犬たちの
投げた小石のひとつが
王の額に とどくことはなかった
花束に似せた香りを
花からは遠ざかった香りを
撒かれて濁る夢の運河に
架かる橋は はじめからなかった
そのとき 空は
そのとき 声は
すみれ色の夕ぐれが もうじき燃える
そこへは何も 持ってゆけない
掌には 錆びた釘がある
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心に留めてください
土くれとしてわたしを造り
塵に戻されるのだということを
(ヨブ記 10:9)
ソプラノとオルガンのための「讃歌」、一曲目にあたる「空」は、
この詩が出発点だった。題名の空は"そら"と読んでもいいし、" くう"と読んでもいい。(歌曲では"くう" としてくださっている)つまり、始まりは空しさだった。 日本現代詩人会の投稿欄で初入選した「影」も、空しい詩だった。 空虚ということが私の原点なのかもしれない。 それは私という主体であり、投影された現代なのかもしれない。
詩というものは、 感じたままに受け止めてくださればそれが真実なのだが、 ひとつキリスト教的な観点から解説するとすれば、
すみれ色の夕ぐれが もうじき燃える
という箇所、これは①夕暮れが燃えるような空の色に変わってゆくことと、② 教会の祭壇が紫から赤に変わってゆくこと(= Lentから聖金曜日に向かっていること)の二重の意味がある。
そこへは何も 持ってゆけない
とは、①空の向こう、 すなわち死後には地上における何の価値も携えてゆけないこと、 であり、②これから(自分の罪のせいで) キリストが磔にされることを分かっていながら、 自分にはどうすることもできないこと、でもある。

